※くれい先生の波乱万丈ストーリー❶ 赤ちゃん大会優勝~拒食症に

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こんにちは!くれいです! これから前後の3回に分けて、私の自己紹介をしようと思いました。

題して「~くれい先生の波乱万丈ストーリー~」 今回はその❶「前編」

 

【 私の出身地は,越後=新潟県 】

 新潟県で歴史上最もの有名な歴史の上の人物と言えば、戦国時代の武将「上杉謙信」だ。他有名人と言えば、列島改造論で有名な総理大臣であった「田中角栄」。東京オリンピックの歌を歌った歌手「三波春夫」。雪椿、おもいで酒を大ヒットさせ、今や演歌界の大御所である「小林幸子」。等が真っ先に思い浮かぶ。

 さて新潟県と言えば「コシヒカリ」コシヒカリと言えば新潟県。佐渡島の日本の国鳥「トキ」。山古志村の「にしき鯉(こい)」。、郷土料理で有名なのは「のっぺい汁」、「笹団子、チマキ」。日本一の大河である「信濃川」ではなく、日本で5番目ぐらい大河である「阿賀野川」のが潤す広大な田園地帯に生まれる。

新潟県は、なんと大阪府の6倍以上の面積があります。なので県内を上越、中越、下越と大きく3分する。我が故郷は下越地方の阿賀野市が出身地だ。 市のシンボル『瓢湖(ひょうこ)』には、毎冬になるとシベリヤから訪れる600羽の「白鳥」は天然記念物となっていて、全国から多くの人が訪れる観光地だ。そこには白鳥と同時期に4.000羽の「カモ」も訪れます。 その東には、下の写真のように白鳥をバックにそびえる白銀の「五頭連邦」が…又、全国でも有数の大河の『阿賀野川』がに朗々と流れています。 その他に沢山の温泉地「出湯温泉、村杉温泉、今板温泉」

 

また、戦後の農地改革までは、新潟県の4分の1の土地がなんと自分の土地だったという豪農の館・斎藤家が北方文化博物館として公開。(※新潟県の面積は、大阪府の6倍以上ある。だから大阪府より広い面積がたった一人の土地だった。) 

さらに『安田瓦』(写真)、『安田ヨーグルト』、紅麹菌(麹菌が赤色している)で出来た赤色の日本酒『あかい酒』等が有名。

 

【 生い立ち~来阪するまで 】 当時毎年開催されていた「赤ちゃんコンクール」その最終開催年に優勝したのだ。つまり健康優良児の称号が与えられ、華々しい人生のスタートをきる?

 

ところがどっこい…思春期(高校生)にダイエットで57㎏~46まで痩せ拒食症と肺炎で入院。

58㎏あった体重が、その頃には43㎏迄落ちていた。父はドンドン痩せていく私の姿を憂慮していたある日でした。

”おまえ、どうしたんだ、目ばかりギョロギョロして!”と叱られ、時が経ったある日、こう告げられました。

「何を職業にするにしても、まずおまえの体を元気にする事が先決だ。おまえの高校の羽田先は、私の2年先輩で、その甥子が、大阪の鍼灸院で修行しているから、そこで体を元気にしろ!」との勧められこう告げられましたした。

自分の身勝手なダイエットで「親に心配をかけてしまい、なんて私は親不孝なんだろう」という反省の気持ちでいっぱいになり、その勧めを断る事は出来ませんでした。それがこの東洋医学の道に進んだきっかけでした。

 

その時全く私の意志とは無関係に人生のレールが敷かれているように感じました。

そして私は確信しました「このレールは、宿命であり天職である」と・・・。

(次回へ、つづく)